SuperRareの発信機

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えんとつ町のプペルを見て

こんにちはこんばんは!

今年になって「えんとつ町のプペル」を見ていました。

なぜ、みようと思い立ったのかというとこのyoutubeの動画がきっかけです。


【宮迫×中田】西野亮廣(前編)〜12年 夢を信じぬいた男の死闘〜【Win Win Wiiin】

 

宮迫博之中田敦彦がMCの「win win wiiin」見ている方も多いのではないでしょうか。

月に1回のペースで上がるこの企画は私の楽しみの一つでもあります。

この企画でゲストに西野亮廣を迎えて様々なトークをしていくのですが、その中で「えんとつ町のプペル」の話題が取り上げられ中身についても説明をしてくれました。

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最初は絵本として話題となった「えんとつ町のプペル」ですが西野亮廣が映画化してまで伝えたかったメッセージが2つあると思います。

伝えたかったこと①夢追い人は総じてゴミ人間

これはどういうことかというと、多くの人間は夢を半ば諦め、捨てていくのに対して、夢追い人はみんなが捨てたもの(夢)をいつまでも持っているということから

「夢追い人は総じてゴミ人間」

ということかと思います。みんなが捨てたゴミを飽きることなくいつまでも持っているものですから、「臭い、あっちいけ」と囃され、叩かれる。

もっと具体的に言うと

みんな子供の頃から夢みたいなものを持っていたのに”さすがに野球選手は無理だ””この歳で粥は無理だ”と大人になる過程の中で、もともとすごく大事にしていた夢を捨ててしまう。そんな中で夢追い人だけはみんなが捨てているものを持ち続けていたり、今まさに夢を叶えようとしていたりすると、夢を捨てた人たちからすると非常に具合が悪いんですよね。あの時捨てていなければもしかしたら叶ったかもしれないことを夢を追い続けてきた人が証明しようとしているわけですから。

この物語の主人公2人とも先述した「ゴミ人間」にあたります。

叶えられるかどうかわからない、けど信じ続けた。

ただただ批判、罵倒するえんとつ町の人々に向かってルビッチが言い放ちます。

「見たのかよ、誰か見たのかよ」

「誰も見てないだろ?」

「だったらまだわからないじゃないか」

ただ叩かれていただけのルビッチの心の叫びです。

信じ抜くんだ。たとえ一人になっても。

伝えたかったこと②次の世代へのバトン

今やインターネットを使って物事の正解不正解、可能不可能の答え合わせは簡単にできてしまう。ただ、それを必死で夢を追いかけている人たちに吐き捨てて一体何になるんだと。こんな世界を次の世代に渡せないと。

夢を追いかける人たちを応援する世界にしていこう。

こうした世界になるまで西野亮廣は抗い続けると思います。

 

最後に

いかがだったでしょうか。

私は正直夢を諦めた側の人間です。そうした中で、周りの友人が私の叶えたかった夢を叶えているのを見て心底悔しくなりましたし、苦しかったです。

この映画を見てその感情が自分と重なるシーンもあり、感動したと同時に、夢を追い続ける人はかっこいい、応援しようと思うようになりました。

 

この映画は子供よりも大人が感動するような作品になっているなと感じました。

1度目よりも2度目の方が感動したりします。(2回見ました)

夢を追い続ける人を周りの人が応援する世界になりますように。

やりたい仕事?できる仕事?

ブログ再開後、初めての記事で再就職のことについて簡単に書かせていただきました。

 

 

superrare.hatenablog.com

 

簡単に書くつもりが、思いのほか文字が走り、再就職のときの自分は自分なりに思っていることがあったのだなと振り返ったところでした。

 

私は前の職場を辞めてから再就職するまで4か月ほどかかりました。今まで教育分野に携わってきたなか、いざそれ以外の分野に目を向けてみると中々ビビッとくるものがなくズルズルと時間だけが過ぎていきました。

そんなとき、とある動画が腐りかけていた私の目にとまりました。そしてその動画に出ていたとある人の言葉が私の再就活の一歩を後押ししてくれましたので、今回はそのことについてお話したいなと思います。

 

 

仕事を決める2つの基準「やりたいやりたくない」「できるできない

その動画とは「林先生の初耳学」で林先生と高学歴ニートの激突を描いた熱血教室のコーナーです。このコーナーはシリーズ化しており、のちに橋下徹武井壮なども講師を務めて非常に人気のコーナーになっておりました。

その中でも講師が林先生の回でのお話がとても印象に残っているのでご紹介します。

以下のお話に正解も不正解もありません。未来を切り開く一つのヒントにしていただければ幸いです。

 

 

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こちらの図を見てください

林先生はこの図を黒板に書き一言

どっちの軸で考えるかが人生の分かれ目と言っていました。

 

まずはやりたいやりたくないを基準で判断する生き方。

これは「ジョブズ」だそうです。

 

私は本当に好きな物事しか続けられないと確信している。何が好きなのかを探しなさい。あなたの仕事も恋人も-スティージョブズ

 

 「やりたいことを仕事に」最近はyoutubeなどの普及でこうした言葉をよく耳にするようになりましたよね。なんでも仕事になってしまうこの時代に合った仕事選びの基準だと私も思います。

 

ただ、林先生は後者の

できるできないを基準で判断する生き方を推奨していました。

 

ここからが大事な部分になってきます。

林先生は

人間の感情・願望(「やりたいやりたくない」「好き嫌い」)は「偶然」だと考えているそうです。こうした願望は環境や情報など外部の要因によって「偶然」に願望が生まれるのだと。

 

では、偶然生まれたであろうその願望は

自分にとって

仕事を選ぶにあたって

この先生きていくうえで

絶対的なものなのか

情報を取り入れた瞬間に自分の思いにすり替わっていないか、錯覚していないか

 

これを高学歴ニートたちにぶつけたとき、まだ再就活中だった私は鳥肌が立ちました

 

「やりたいやりたくない」「好き嫌い」という感情・願望を「偶然」とする一方、

「できるできない」は「偶然」ではなく「必然」だと林先生は言います。

「やりたくないけど(能力的に)できる」仕事を林先生は平気でできたそうです。

できることをやろうと思って予備校教師に徹したら30年間悩んだことなんて一つもなかったとも言っていました。

 

ここで少し話は変わりますが

ある日、林先生に自己啓発本を書いてほしいと依頼を受けました。

ここで言えることは林先生は客観的に自己啓発の本を書ける人間に見えているということです。(が、興味のない自己啓発の本を書くよりも自分の好きな分野についての本を書きたいというのが本心で断ろうか迷ったようです。)

結果、その本が100万部売れ、これをきっかけに、当時フリーの編集者だった執筆依頼主が大手の出版社で正社員に採用が決まったそうです。編集者の奥さんの両親も心底喜んでくれたそうです。

このとき

「書きたくない本を書いてよかったな」と思ったようです。

 

最後に

 

いかがだったでしょうか。

私自身、当時やりたい仕事が見つからなくて焦っていました。そんなとき林先生が「やりたい仕事というのは絶対的なものなのか」と言ってくれて肩の荷がおりました。

この言葉を聞いて以降は自分にできることは何かを書き出してみると、自分がやりたいことよりも明確にたくさん書き上げることができ、選択肢が増えていきましたし、自分の可能性を信じてみようと思えました。

以前の私のような苦しい経験をしている人やこれから就活を迎える人に対して一つのヒントになればいいなと思います。

 

 

心機一転 またここから始めさせていただきます

お久しぶりです。SuperRareです。

約2年前からこのブログサイトを利用してきて4.5か月ほど続けててきましたが、再就活、新しい職場に慣れのでいっぱいいっぱいで今日まで放置状態でした。

今は就職して1年と3か月ほど。

もう慣れたと言ったら嘘になりますが、自分の時間を作る余裕が生まれてきたので今このブログに文字を走らせています。

今まで自分の時間を作る余裕もなかったの?今の職場大丈夫?と思うかもしれませんが、それらも含めて自己紹介させていただきます。

 

私は東北に住んでいる今年27になる社会人です。

宮城の教育大学を卒業しておりまして、小学生の頃から学校の先生になるのが夢でした。大学4年生の時、そして就職浪人の時の2回教員採用試験を受けましたがどちらも不合格。

2回とも二次試験の模擬授業、面接で落ちてしまい、ただ、不合格通知は「不合格」の3文字だけ。何が悪かったのかわからず苦しんだ経験を2回しました。2回目の経験をした時に、心が折れついに就職(今の職場ではありません)

就職した先は仙台の学習塾で、ものすごく楽しかったですし、生徒たちもものすごく可愛く、合格不合格の喜び悲しみも共有し、生徒たちと共に成長してきました。この傍、並行して教員採用試験の勉強をしようとは思いませんでした。理由は単純で、自分の全てを目の前の生徒に注ぎたかったからです。そうした信念もあり、いつしか教員になる夢を諦めていました。

 

ただそれも長く続かず、家族の事情で急遽地元に戻らざるをえない状況になってしまいました。先輩にもたくさん相談させていただいてこの決断に至りました。

 

地元はど田舎で、再就職も困難でした。自分は教育の分野でしか食っていけないと思っていましたが、実家通いになる以上、塾の選択肢はありませんでした。塾講師はお昼近くから出勤して、夜遅い時間まで勤務になります。この形態が嫌というわけではなく、単純に家族との生活時間がずれてしまうのが嫌だったからです。(前まで塾講師を続けられたのは一人暮らしだったからだと後から思うようになりました)

 

そして私が再就職した先は税理士事務所です。今まで全く触れてこなかった分野です。どうしてこの業界を選んだかその理由についてはまた別の記事で書こうかと思います。

先述の通り、全く触れてこなかった分野ですので、就職してから1年ほどはほぼ勉強に費やし今に至ります。

 

書きたいことはたくさんあるのですが長々とした自己紹介になってしまいますので、紹介はここまで。

現在の職場では他の会社の社長さんなどとお話しする機会が多いですので、そこで気になったお話や気になったニュース、本、日常での出来事などをこのブログで幅広くアウトプットしていきたいと思いますので今後とも宜しくお願いします。

 

 

SuperRare